次のような奇妙な話が科学の考え方にある。
人間あってこその宇宙。
人間がいるから宇宙がある。
これを「人間原理(Anthropic principle)」と言う。この言い方では正確ではないと言う人もいると思うが、他のどんなに簡単に書かれた人間原理の説明も、抽象的過ぎて意味が分からない。そもそもが、言葉で正確に説明できるようなことでもないので、これで良いと思う。
ところで、上のようなことを聞いたら、大方の反応は、
「そんな馬鹿な!宇宙に無数にある銀河の中の辺境のこの星に、たまたま生命が生まれ、たまたまこんな形に進化したのが人間だろう?」
といったものであろう。
これは、例えてみれば、サルがデタラメにキーボードを叩いたら、ノーベル文学賞を受賞できる小説になる可能性もゼロではないといった考え方だ。我々は、実はそんな考え方をしているのである。
人間原理と関係あると感じるお話に、インドの詩人タゴールがアインシュタインに言ったものがある。
「人が見ているから月がある」
また、「シュレディンガーの猫」という量子物理学の有名な命題は、
「箱の中の猫が生きているか死んでいるかは、人が箱を開けて確認した時に決まる」
といったものだ。
いずれも、やはり、「正確でない」と言われる書き方だが、他のどんな説明も五十歩百歩(ドングリの背比べと同じ意味)と思う。
タゴールは科学は素人であるが、世界的量子物理学者であるハイゼンベルクはタゴールの教えを受けたことがある。
また、江戸時代の禅僧である道元の「正法眼蔵」を見ると、道元も人間原理を直観で分かっていたように感じる。
さて、人間原理であるが、これを提唱(意見を主張すること)する科学者も、これを「馬鹿な」と反発する方も、半分抜けているように思う。それが、両者の意見が合わない理由のように感じるのである。
人間あってこその宇宙。
人間がいるから宇宙がある。
というのは、当然なのだ。しかし、同時に、
宇宙あってこその人間。
宇宙があるから人間がいる。
というのも正しいのである。
ほとんどの人が、人と宇宙の大きさの違いに騙されているように思う。
早い話が、人と宇宙は同じものなのだ。
我々が誤解したものの見方、考え方をしているのは、イエスの次の言葉の捉え方からも感じるのだ。
「人に悪口を言うのは、天に向かってツバを吐くようなものだ。それは自分に返ってくる」
考え方は正しいが、どうも誤解を生むのである。
実際は、地にツバを吐いても、自分にツバを吐いているのと同じなのである。
だって考えてみると良い。
我々は、皮膚の内側を自分と考えているが、自分の周りの空気や熱や、足元の大地を取り去れば、一瞬でも生きられない。人間は根本的に生命であり、あえて感情を交えずに言えば、死体は物だというなら、周りも含めて自分という人間だ。
エコロジーに関しても、大誤解をしながら色々言ってる人が多いが、人と環境は一体であり、相伴うものであり、もっとはっきり言うなら、環境も自分なのだ。
どの範囲の「周り」「環境」が自分かと言えば、宇宙全体としか考えられない。
だから、宇宙が我々の身体であると言っても、さして違和感は無いと思うのである。
