深い心のことを、日本語では魂、英語では、ソウルとかスピリットと言うのだと思う。
魂という概念は、どこの国にもあるのではないだろうか?
魂に対するイメージは、炎である場合が多いように思うが、古代ギリシャでは蝶であったようだ。死者の魂が蝶のように漂っていると感じたのだろう。

では、魂は、身体のどこかの位置で感じられるものだろうか?
感情が心臓の位置である胸の左側で感じると言っても、魂がそうであるとは限らない。魂とは、心のように簡単に揺らいだり動いたりするものではなく、大きく、静かなものであると考える場合が多いのではないかと思う。それならば、容易くドキドキする心臓と同じであるとは考え難い。いかに修練を重ね、動揺することが無い人間にだって、必ず弱みはある。強そうな人間ほど、弱点を突かれると脆いものだ。だから、魂は心臓の位置にはない。

古代インドの聖典には、魂を意味するフリダヤムは、胸の右側にあると記されているらしい。ラマナ・マハルシの説明では、胸の中心から指2本分右である。
その証拠として、人が自分を指差す時、自然に胸の右側を指すのだという。
ただ、現代の日本人に、自分を指差すことをさせた場合、顔を指差す場合が多いと思う。
もし、ラマナ・マハルシの説明の通りだとしても、今の日本人は、魂という深奥の心を大切にしたりはしていない。
とはいえ、両手の親指と人差し指で枠を作り、それを深い心を示す意図をもって胸の上に合わせる時、それは自然に、わずかに胸の右側に置くのである。

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