「50種以上」の拷問考案

 
中国共産党が用いた弾圧の口実は「内モンゴル人民革命党」である。彼らは同革命党を反中国、反社会主義の総本山で、メンバーは修正主義者で反毛沢東思想の輩だと決めつけ、粛清した。1966年7月2日、鄧小平もモンゴル人の指導者、ウラーンフを呼びつけ、厳しく批判した。

反毛沢東、反社会主義の輩を「えぐり出して粛清する」運動は、「謖柾l(ワーソ)」と呼ばれた。『実録』によると、謖柾lによって、内モンゴル人民革命党員とされたのは34万6,653人、当時の内モンゴル自治区のモンゴル人の人口140万人弱の約4分の1に相当する。うち1万6,222人が殺害され、烈しい拷問による障害が残ったのは8万7,188人だったという。しかし、『実録』におさめられた右の数字は、1980年に中国の最高検察院特別検察庁、つまり、中国政府当局が発表したデータで、少な目に見積られている可能性がある。実際の犠牲者はこれよりはるかに多いと、モンゴル人たちは訴える。

中国共産党はまず、ウラーンフの例でわかるようにモンゴル人の指導者と知識人たちを狙った。文字を読める人は殆ど生き残れなかったと言われるほどの粛清が行われた。50種類以上の拷問が考案され、実行された。たとえば、真赤に焼いた棍棒で内臓が見えるまで腹部を焼き、穴をあける。牛皮の鞭に鉄線をつけて殴る。傷口に塩を塗り込み、熱湯をかける。太い鉄線を頭部に巻いて、頭部が破裂するまでペンチで締め上げる。真赤に焼いた鉄のショベルを、縛りあげた人の頭部に押しつけ焼き殺す。『実録』には悪夢にうなされそうな具体例が詰まっている。女性や子どもへの拷問、殺戮の事例も限りがない。中国共産党の所業はまさに悪魔の仕業である。

内モンゴルのモンゴル人が中国共産党の非道なる圧政で未来を奪われているのは明らかだ。親日的なモンゴル人のためにも、日本はアジアの道義大国として中国政府に物を言い続けなければならない。それが中国の圧制に苦しむ諸民族のために日本がなすべき最低限のことである。

posted 7ヶ月前